



夜明けの来ない夜はないさ
あなたがぽつり言う
燈台の立つ岬で
暗い海をみていた
悩んだ日もある哀しみに
くじけそうなときも
あなたがそこにいたから
生きて来られた
朝陽が水平線から
光の矢を放ち
二人を包んで行くの
瑠璃色の地球 聖子ちゃんの『瑠璃色の地球』ですね。





最近、
『あなたがそこにいたから生きて来られた』
と言うところが気になってしかたありませんでした。
私はてっきり、私のことを大切にしてくれる神様みたいな 誰か
と思っていました。
その誰かは、時期によっていろいろと変化します。
子供だったり、恋人だったり、友人だったり、尊敬する人だったり。
決して、親ってことはありませんが。。。
人に好かれようとして、本音とは全く違うことを言ってみたり、やってみたり、(ずいぶん減りましたが、ちょこちょこ顔を見せる!)
「違うな」とサインが出てるのに世間のルールに添って動いてみたり、
なんでそんなことをやるのかと言うと、私ひとりじゃ何もできない。
私には価値がない。
と言う、すり込みのところに戻るのですよね。
そうしなきゃ生きられない。みたいな。嫌われる。みたいな。失敗する。みたいな。ね
「あなたの気持ちはさっぱり理解できません。もう勘弁してください。これからは勝手にやってください。さようなら。」
と言われるのを恐れているのです。心のどこかで いつも。
だけど、最近しっかりと言われました
やっぱりか!そうきたか!我慢してたんだな!
なーんだ だったら、私も本音を貫き通せばよかった
私が我慢してるもんだから、相手も我慢している。
嫌なものは嫌なのですよ
そこに、変な理屈はありません
だけど、それもわたしが写し出しているわけですよね。わたしが創ったドラマなのです。
楽しいこと、嬉しいこと、嫌なこと、悲しいこと、
いろいろあるけど、全部過ぎ去っていく。
けど、
どんなときも、最悪なときでも、
わたし だけは、いつも、 わたし に寄り添っています。
決して裏切りません。
ドラマを創っているのは、わたし。
映写機は、わたし。
「あなたがそこにいたから生きて来られた」
あなた=わたし
わたしは、わたしの思い通りのシナリオが描ける。生きて行けるのです。
そのメッセージを受け取って
今、とても、すっきりしているところです
辛い現実に遭遇したら、それは乗り越えれるっていうサイン。チャンス
更には、
乗り越えて、次に行きたい!行ける!って言うこと。一緒に行けないんだったら無理しなくていいよ。って言うこと。行きたい人がいたら一緒に行けばいい。
だって、シナリオは自分で描いているんだから。
『それを乗り越える。そして、次に進む。』
この意図がないと、そんな現実は創り出さない訳ですよね。
主役は私なのですよ。断言できます!
他の人の言葉、行動は、全部、脇役です。
特に、
「こんなに大変なのに、こんなにしてあげた!もう、勘弁してください。」みたいなことは、苦手です。
むしろ、いりません。ふりをしないで早く言って。あなたの好きにしてもらいたい。
あなたも主役です。そして、私が脇役。
皆それぞれ、主役で、自分で描いている訳ですね 現実は、映写機(自分)が、スクリーンに写し出しているのです。
これからも、自分のシナリオ、好きなように描き続けます 生きている限り。